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STORY 12

果物専門店から果物食堂へ。果物は持ち帰る商品だけでなく、街へ出かけてその場で食べる都市の体験にもなった。

果物食堂。

……何、その名前。

明治のはじめ、日本橋に本当にあったらしい。

果物屋、じゃない。

果物食堂。

ちょっと行ってみたい。

話は1834年まで戻る。江戸の葺屋町、いまの日本橋人形町あたり。千疋屋の初代・大島弁蔵は、埼玉の千疋村から果物や野菜を船で運んでいた。

桃。西瓜。まくわ瓜。

夜に村を出て、朝には江戸へ。

そこで出した看板が「水くわし安うり処」。水菓子は、いまでいう果物のこと。

ここまでは、果物を買う店だった。

それが1868年。

店の中に「果物食堂」ができる。

苺ミルク。フルーツパンチ。アイスクリームソーダ。

急に楽しそう!

のちにはショートケーキやフルーツサンドも登場する。

果物を買って帰る場所だったのに、座って、注文して、その場で食べる場所になった。

つまり、「果物を買いに行く」から「果物を食べに行く」へ。

果物を盛ったガラスの器と桃、フォークを描いたラフな水彩イラスト
持ち帰る果物から、席について食べる果物へ。Illustration: YOMITABE

これ、けっこう大きな変化じゃない?

1929年には二階にフルーツパーラーができた。「果物食堂」という名前は聞かれなくなっていく。

でも、やっていることは今も分かる。

パフェを食べに行く。

フルーツサンド目当てに電車に乗る。

季節の桃を食べに街へ出る。

私たち、いまも普通にやっている。

次に日本橋を歩くときのことを考える。

このあたりに果物を積んだ船が着いて、果物屋ができて、その店に食堂ができた。

そして今も、果物を食べるために人が街へ来る。

果物食堂。

やっぱり、いい名前だな。