果物食堂。
……何、その名前。
明治のはじめ、日本橋に本当にあったらしい。
果物屋、じゃない。
果物食堂。
ちょっと行ってみたい。
話は1834年まで戻る。江戸の葺屋町、いまの日本橋人形町あたり。千疋屋の初代・大島弁蔵は、埼玉の千疋村から果物や野菜を船で運んでいた。
桃。西瓜。まくわ瓜。
夜に村を出て、朝には江戸へ。
そこで出した看板が「水くわし安うり処」。水菓子は、いまでいう果物のこと。
ここまでは、果物を買う店だった。
それが1868年。
店の中に「果物食堂」ができる。
苺ミルク。フルーツパンチ。アイスクリームソーダ。
急に楽しそう!
のちにはショートケーキやフルーツサンドも登場する。
果物を買って帰る場所だったのに、座って、注文して、その場で食べる場所になった。
つまり、「果物を買いに行く」から「果物を食べに行く」へ。

これ、けっこう大きな変化じゃない?
1929年には二階にフルーツパーラーができた。「果物食堂」という名前は聞かれなくなっていく。
でも、やっていることは今も分かる。
パフェを食べに行く。
フルーツサンド目当てに電車に乗る。
季節の桃を食べに街へ出る。
私たち、いまも普通にやっている。
次に日本橋を歩くときのことを考える。
このあたりに果物を積んだ船が着いて、果物屋ができて、その店に食堂ができた。
そして今も、果物を食べるために人が街へ来る。
果物食堂。
やっぱり、いい名前だな。