濃い。
甘い。しょっぱい。
そして、今の好みへ薄めない。
日本橋弁松総本店は、自分たちの味を「濃ゆい味」と書いている。しかも、好みが分かれることまで隠していない。
いま食べやすい味へ寄せるのではなく、濃い方を残す。
いつから、そんなに濃い?
時間を戻す。
1850年。折詰料理の店「弁松」が始まる。
ペリーが浦賀へ来る、三年前。
もう少し戻る。
1810年。日本橋魚河岸の食事処「樋口屋」。忙しい魚河岸の人が料理を残して席を立つ。残った料理を経木や竹皮で包んだところ、持ち帰る人が増えたという。
食べ終える時間がない。
ならば、包む。
店の料理が、魚河岸の外へ動き始める。
味が濃くなった理由について、弁松は一つに決めていない。日持ちのため。働く人の力になるため。高価だった砂糖を使う見栄。江戸っ子の好み。水や、だしとの関係。
説まで、濃い。
分からないものは分からないまま、それでも味だけは薄くしなかった。
現在の折箱にも、めかじきの照焼、玉子焼、蒲鉾、野菜の甘煮、生姜の辛煮などが入る。箱は経木。持ち帰るという最初の仕事も、まだ形に残っている。

今の折箱を開ければ、1850年とまったく同じ味に出会える、というわけではない。
それでも、薄めずに伝えたい味があると、今の店が言っている。
ペリーが来る。時代が明治になる。百年が過ぎる。二百年が近づく。
それでも、弁当は濃いまま来た。
まだ食べていないのに、話まで濃い。